とにかく勉強漬け
先日、留学に行きたいと願っている若者と出会いました。
留学の楽しさを伝えるとともに、辛い時間もあることも正直に伝えました。
懐かしいなぁ。
私が初めて渡米した時は交換留学生でした。
1992年の話です。
交換留学制度とは、姉妹校として提携した大学との間で学生を交換して勉強させるのですが、そのためには多くの場合試験があります。
これから自慢をします。
当時はバブル経済の余韻が残る明るい時代でしたので、留学は今よりも手の届く経験でした。
円高でしたので1ドル85円くらいで、経済的に容易だったのです。
しかも大学が頑張って資金援助してくれたものですから、授業料、渡航費、そして生活費まで出してくれていました。
渡航費はビジネスクラス料金です。
たかが学生にビジネスクラスでしたので、あの頃は社会が異常でした。
生活費が無料と言うことは寮費も賄ってくれると言うことです。
でも、これに関してはどの大学でも同じではなく、交換留学制度の候補先では私が派遣されたカンザス大学だけの制度でした。
だから競争率が高かったのです。
たぶん100人くらい応募していたはずですが、私は一等賞でした。
勉強しててよかった…
なぁんて喜んだのも束の間。
アメリカに行ったら英語がさっぱり分からないのですよ。
日本の学校で教えている英語なんてほとんど通用しないと初日で分かりました。
交換留学生は1年間の期限付き、かつ大学の代表として留学していましたので、下手な成績は残せません。
毎月電話(コレクトコール)で大学に近況を報告し、勉強の進捗を報告します。
成績は帰国したら単位換算されますので、頑張って勉強しないといけないのです。
だから毎日アメリカ人と一緒につるんで、可能な限り英語を伸ばし、彼らが遊んでいる時も私だけは寮で勉強をする日々が続きました。
ただ、後から考えれば交換留学時代は序章に過ぎませんでした。
大学院生活の始まり
大学院は全くレベルが違いました。
交換留学で1年間生活したから、ある程度英語もできると過信していた私は、授業の教科書と他の読むべき資料の量に圧倒されました。
教科書はどれも分厚いし、課題として出された論文のコピーは重ねると50㎝を越えました。
これを半期で読まないといけません。
かつ、論文を書かないといけません。
ディスカッションに参加しないといけません。
全部理解しないといけません。
全部英語で。
とにかく大変でした。
でも、楽しい時間も鮮明に覚えています。
ハロウィーンでは、夜遅くに10人くらいで学長の家に行ってお菓子をもらいました。
仕方なく出てきたあの学長の顔は忘れることはできません。
でも、仮装した20代半ばの大学院生たちにもちゃんとお菓子をくれました。
そのあたりはアメリカですねぇ。
クラスメイトはほぼ全員がアメリカ人でした。
奴らと夜遅くまで飲み明かしたことも楽しかったなぁ。
ある夜、自分のアパートで John Coltrane を聴きながら論文を書いていたら、クラスメイトが来て、そいつがソファでビールを飲み始めるんですよ。
私は論文を書いている時には歌詞が理解できたら邪魔だから、ジャズをかけていたんですね。
でも、奴が勝手にメタリカをかけ始めるんです。
あいつは車で来ていたんですが、アメリカはビール3杯くらいは警察も捕まえません。
まぁすぐに帰るんだろうと思っていたら、10本くらい用意していて「そんなもん、早く書き上げろよ。ビール美味いぞ。」と言ってくるわけですよ。
あいつはアメリカ人だから論文を書くのも早いんですよ。
誘惑に負けた私は早々に我慢できなくなって執筆を止めて飲んでしまいました。
そのせいで、次の夜は徹夜でした。
アメリカの大学院ってとにかくたくさんの論文を書かないといけないんですよ。
ようやく書き上げてフラフラしながら教授に提出したら、そいつは教室でそれを見て笑っていました。
今、彼はネブラスカ大学で教授として働いています。
あの頃はみんなバカなことやってたんですけど、みんな大学の教員になって立派に働いています。
真面目に勉強していい成績を残して卒業できたらアメリカでは必ず道が開けます。
辛いこともありますが、楽しさの方が何倍も待っていると、若者に伝えます。
日本では絶対に経験できない生活に加え、達成後に得られる自信、そして確実に習得できる英語は将来の武器になります。
日米でどちらも大学院に行きましたので分かるんですけど、アメリカの大学院は日本語5倍くらい大変です。
アメリカの大学院を卒業したんだったら、TOEICなんかだったら満点取れないといけません。
あれで満点じゃなかったら中途半端にしか勉強してなかった証拠です。
何ごとも追及するなら必ず努力が求められます。
でもその分、手にする収穫は大きい。
辛いかもしれないけど、自分をコントロールする力を持ち続けることが大切です。
未来のある若者が世界を舞台に活躍を夢見るのでしたら、私は心から後押しします。
アメリカの空港に降り立った瞬間を今でも覚えています。
苦しさと楽しさのどちらも正直に伝えて、あの素晴らしい時間を過ごしてもらいたいものです。
最後まで読んで下さいましてありがとうございました。
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